奥田さん
少し昔のことを、思い出していいですか。
このオーケストラの入団オーディションの合格通知が来たか来ないか、そんな頃でした。
生徒だった私に、「おめでとう、一緒に弾けるから楽しみやわ」と電話を下さったのは。
それを境に「師弟」から「同僚」へ、「先生」と呼ばない呼ばれない、そんな関係へゆるやかに変移しながら、21年間。
来る日も来る日も、リハーサルも本番も、ほとんど常に、同じ譜面台の上の同じ譜面を一緒に弾き続けてきた私にとって、あなたの存在は、
時に山のように、時に雲のように、時に雪のように、時に嵐のように。
時に太い樹のように、時にその木陰のように。
時に親ライオンのように、時に巨象のように、時に同じ獲物を狙う狩りの競争相手のように。
時に壁のように、時に岩のように、時に遠い砂丘のように。
時に「たんこぶ」のように、時に「気前の良い叔父さん」のように。
時に仙人のように、時にガキ大将のように。
見まごうことのないハッキリとした輪郭で、いつもそこにいてくれました。
そんなあなたが、数日前の夜にかかってきた一本の電話をきっかけに、翌日からのリハーサルに来ていませんでした。
チャイコフスキー 交響曲第6番 「悲愴」。
冒頭の5度の緊張。
あまい旋律、心地よいDの開放弦。
長く続くフォルテ・フォルテ・フォルテのF♯のトレモロ・摩擦。肩の痛み。
ワルツを踊れるような5拍子、ピツィカート。
ティンパニと一緒にD音のオスティナート。
1小節12個の音が弓に跳ねる、スケルツォ。
ひとつひとつ全弓ではじき出すような、マーチ。輝く。興奮。
終結部、トロンボーンのコラールを待って、コントラバスが唸る重い重い動機、その繰り返し。
そして最後の最後、デクレッシェンドの中で、あがくように、また何かと決別するように、ピツィカート。
曲を辿りながら、どの部分を思い出しても
「奥田さんだったら、きっとこんなふうに」と
あなたの弾く姿を、我々はくっきりと目に浮かべることができるのに。
こんなに突然にいなくなってしまうなんて。
でも奥田さん、リハーサルでは会えなかったけれど、
今夜の定期は、もちろんあなたの演奏会でもあります。
我々は、歯を噛み、空を掴み、涙をこらえて、あなたを悼みます。
どうか安らかに。安らかに。
2010年9月16日
コントラバス 内藤謙一
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